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社長 晴耕 2022.12.19

『私の本棚』 vol.02

こんにちは。内海建設の社長の内海です。
自分の本棚にある本をご紹介する「私の本棚」シリーズ。
第3弾は、「日本の植物学の父」とよばれる、『牧野富太郎』の九十四年の生涯を描いた本です。

牧野富太郎 【日本植物学の父】
文:清水洋美 絵:里見和彦



【牧野富太郎との出会い】

最初に私が牧野博士を知ったのは、そんなに昔の事ではなく、2012年に静岡県の「災害科学的基礎を持った防災実務者の養成」(ふじのくに防災フェロー養成講座)を1年間、受講した時のことです。

ふじのくに防災フェロー養成講座のH Pはこちら↓
https://www.cnh.shizuoka.ac.jp/education/fellow/

その際、「海岸防災林」の研究を通じて、植物のことを学び直したのがきっかけになりました。

この本は、子どもたちに身近なテーマですぐれた研究を行った科学者を紹介する児童書伝記シリーズの1冊ですが、大人が読んでも楽しめる本です。

植物学者・牧野富太郎博士(1862-1957)は、現在の高知県高岡郡佐川町に生まれました。
高知の豊かな自然に育まれ、幼少から植物に興味を持ち、独学で植物の知識を身につけていきました。
そして2度目の上京のとき、東京大学理学部植物学教室への出入りを許され、植物分類学の研究に打ち込むようになります。

自ら創刊に携わった「植物学雑誌」に、新種ヤマトグサを発表し、日本人として国内で初めて新種に学名をつけました。
94年の生涯において収集した標本は約40万枚といわれ、蔵書は約4万5千冊を数えます。新種や新品種など約1500種類以上の植物を命名し、日本植物分類学の基礎を築いた一人として知られています。
全国からの要望に応じて各地を巡り、植物を知ることの大切さを一般に広く伝え、植物知識の普及にも尽力しました。



【実は小学校中退。なのに教員に】

現在の高知県高岡郡佐川町で酒造と雑貨を営む裕福な商家の一人息子として生を受けた牧野博士は、10歳で寺子屋、11歳で塾通い+郷校+英語学校で学び、12歳で小学校に入学するも、そこでの授業は彼に物足らないものばかりだったようです。14歳で自主退学すると、野山での植物採集にのめりこみました。

ところが翌年、退学したはずの小学校で臨時教員として働き出したというからおもしろい。その後、17歳まで教員を続けながら植物採集を精力的に行い、研究に没頭。
やがて、植物学へのあくなき探求心から顕微鏡や高価な書籍を購入し、著名な植物学者に会いに行くなど、行動範囲は次第に広がっていきました。実家が裕福という背景があったとしても、ひと筋に何かを突き詰める情熱には驚かされます。



【東京大学に押しかける】

そして、22歳のある日、上京すると当時植物学研究の最先端だった東京大学理学部の植物学教室に押しかけ、初代植物学教授の矢田部良吉に熱く植物愛を語りました。いわば、高知の田舎から出て来た自称研究者の若造が、東京大学の大先生に論戦を挑んだようなものです。

本来なら門前払いかつまみ出されるだろうに、あまりの博識ぶりに、以後、教室への出入りが許されるようになりました。押しかけた方も、認めた方もあっぱれといえます。

それから水を得た魚の如く、東京大学に出入りしながら各地で植物採取と研究を続け、さらに印刷技術も学び、26歳で「日本植物志図篇」を刊行しました。それは、彼の研究の成果が詰まった手作りの自費出版であり、自筆の植物図の細密さなどは各方面から称賛されたようです。



【新種発見と結婚】

植物学一筋とはいえ、極端な堅物ではないようでした。26歳の時、東京で出会った小澤壽衛(すえ)と結婚すると、居を東京の根岸に移しました。

2年後、江戸川の河川敷において世界的にも貴重な食虫植物を発見すると、「ムジナモ」と命名。植物学界での名声はさらに高まっていきます。

しかし、それは逆に妬みの原因ともなり、彼を認めてくれたはずの教授から大学への出入りを禁止されてしまいました。普通ならここでかなり落ち込むだろうに、植物学への情熱は消えることなく独自で研究を続けていきます。
すると3年後、31歳の時に教授が変わると東京大学に呼び戻され、助手として採用されたのです。



【借金まみれの生活】

助手としての給料はかなり安いのに、研究に注ぎ込むお金は莫大だったようで、惜しげもなく使うので借金は膨らむばかり。それでも各地を周り、ひたすら植物採集をしながら標本を作り、分類していく作業に没頭する牧野博士でした。

植物採集の際は、まるで恋人に会いに行くがごとく身支度を整え、列車も旅館も最高のものを利用しました。一方、日常生活はというと質素、というより貧乏そのもの。

妻の壽衛(すえ)がなんとか内助の功で支えていたようですが、借金は膨れ上がり、借金取りが家まで押しかけてくることもしょっちゅうだったようです。



【妻への感謝を表す方法】

このように、すべての愛情を植物に捧げているとも受け取れますが、妻の壽衛が亡くなった時、彼は前年に仙台で発見した笹に「スエコザサ」と命名。彼なりの感謝の気持ちを表しました。

そして、壽衛の墓碑には、
「家守りし妻の恵みやわが学び」
「世の中のあらん限りやスエコ笹」
・・・と刻まれています。

誰よりも牧野を理解し、尊敬しながらの、壽衛の献身的な支えがあったからこその牧野博士の人生だったと、この本から感じる事ができました。



【植物一筋!】

他の書籍に、こんな事が書かれていました。
「植物学を志す者にとって牧野富太郎(1862~1957)は神に近い存在である。
日本中の野山々を歩き、生涯に収集した標本の数が約40万枚。新種や新品種命名など1500以上の植物を命名するなど、日本植物分類学の基礎を築いた人物だからだ。

東京大学講師、理学博士(東京大学)、日本学士院会員、東京都名誉都民、文化勲章受章(没後)といった肩書を知るだけでもひれ伏しそうになるが、本当のスゴさは植物一筋に突っ走っていった“ひたむきさ”にあると声を大にして言いたい。」と

日本の植物分類のパイオニア、『牧野富太郎』をもう少し調べてみたくなる一冊です。


追記:
牧野富太郎の研究の成果を見ることのできる施設は、高知市の「高知県立牧野植物園」や東京の「練馬区立牧野記念庭園」などがあるようです。

また、生まれ故郷の高知県佐川町には「牧野公園」や、生家跡地に建てられた「牧野富太郎ふるさと館」もあります。

なお、佐川町では2018年に「朝ドラに牧野富太郎を」の会が結成され、地道な署名活動を行った結果・・・・

NHKの連続テレビ小説(朝ドラ)の第108回目の作品(2023年度前期)として『らんまん』というタイトルでドラマ化されるようです。
主演は神木隆之介さんです。

https://www.nhk.or.jp/dramatopics-blog/1000/460323.html

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